海賊衆(水軍)と太鼓

太鼓の歴史は古く、縄文時代には存在し、主に祭祀さいしに使われたとされています。

戦国時代になると、戦場で軍の統率に使われるようになりました。武田信玄の「御諏訪太鼓おすわだいこ21人衆」による「陣太鼓じんだいこ」は有名です。

海賊衆(水軍)も、陣形を整える時や士気を高める時に太鼓でリズムを取ったと言われています。

海賊衆(水軍)ゆかりの「櫂伝馬競争」でも、太鼓が積まれており、そのリズムで舳先へさきで「梵天ぼんでん」がともで「剣櫂けんがい」が踊り、漕ぎ手が櫂を動かして船を進めます。

海賊衆(水軍)の「凱旋踊がいせんおどり」が起源とされる興居島の「船踊り」も太鼓の決まったリズムに合わせて「梵天」「剣櫂」「中踊り」が踊ります。

「中踊り」は歌舞伎調でありながら、無言劇であり、歌舞伎のような華やかな伴奏はなく、使用されるのは太鼓と拍子木ひょうしぎです。

拍子木は演者が「見栄みえ」を切る時などに打たれることから、「船踊り」に歌舞伎の要素が加わったときに同じように加わったと考えるのが自然です。

「中踊り」が歌舞伎調であることから、文化庁「全国地芝居(地歌舞伎)の実態等データ作成業務」「全国の地芝居(地歌舞伎)」調査報告書(平成27年度)に、興居島の「船踊り」(小富士文化保存会)が掲載されています。

「船踊り」の起源は古いですが、文化財として認定されたのは「中踊り」が歌舞伎調になってからの姿であり、興居島の島民が海賊衆(水軍)の荒々しい「凱旋踊り」を太鼓のリズムを大切に継承しながら、物語のある芸能性の高い「船踊り」に変えていったことが大きいと思います。

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