「予章記」と言えば、伊予国守護となった河野氏の家譜ですが、この最初の方に興居島のことが出てきます。
「船越和気比賣神社」に祭られている「和気姫」は、「うつろ船(棚無し小舟)」で流れてきた少女(異国から来たとも、海童女ともいわれています)です。伊予皇子に見初められ「沖ノ島」(今の興居島)で三つ子を産みますが、その三人の子どもたちは「うつろ船(棚無し小舟)」で流されます。
三人の子どもたちの流れついた先については、諸説あります。
実は「予章記」は、神代から室町時代までのことが書かれていますが、内容については神話伝承や偽の文書や創作が混じっており、しかも異本が存在しています。そのため歴史書としてしまうのは難しく、研究者によっても解釈が違っています。
ただ、和気姫が伊予皇子に嫁いで三つ子を産んだこと、最後に出てきた子(長男)が、小千御子であることは一致しています。
小千御子の母が住む島として、沖の島は「母居島」と呼ばれるようになりましたが、ここで出てくるのが「母ノ字ヲ恐テ興居島ト改也」という記述です。
なぜ「母」の字を恐れるのか、ネットでは探せなかったのですが、詳しい方に教えていただきました。「漢字文化圏で自分より上の存在に含まれる漢字を日常で使わないようにする慣習」だそうです。
こうして、「沖ノ島」→「母居島(もいじま、ぼごじま)」→「興居島」となったわけですが、別の説も存在します。
いずれにせよ、興居島と河野家とは深いつながりがあると言えます。