このサイトの「過去の演目の写真」に2022年の演目「羅生門の鬼」のスライドショーを追加しました。
この外題は、歌舞伎の演目「戻橋」「茨木」「酒呑童子」を元に興居島船踊保存会が創作した物語で、酒呑童子、茨城童子、唐熊童子と3人の鬼が出てきます。酒呑童子と茨城童子は有名ですが、唐熊童子は多分「熊童子」のことで、酒呑童子の部下と思われます。
「船踊り」には出てきていませんが、愛媛県にも歌舞伎の題材にもなった有名な鬼の話があります。それは「大森彦七」です。
大森盛長は清和源氏の末裔で、伊予国砥部庄の千里城主。元弘の乱や南北朝の戦いで足利尊氏方に従い、建武3年(1336年)の湊川の戦いで南朝の楠木正成を敗死させたという伝説が残ります。
「太平記」に、金蓮寺(伊予郡松前町)へ向かう途中、重光の部落を流れる矢取川で楠木正成の怨霊の化身「鬼女」に出くわしたという伝説があり、この伝説から江戸時代に舞踊劇が出来、明治に入ると「新歌舞伎」十八番の一つとして上演されるようになりました。
明治期より歌舞伎を取り入れてきた「船踊り」でこの「大森彦七」が上演されないのは、不思議な感じがします。楠木正成は南朝方の重鎮でした。
実は、興居島の隣の中島を治めていた忽那氏(忽那海賊衆)には、延元4年(1339年)から懐良親王が3年間滞在しており、この頃は伊予は南朝軍が勢いを増していました。
南北朝の戦いでは、朝廷側と幕府側の争いに地域勢力や海賊衆が加わり、激しい戦いが繰り広げられ、興居島も戦場となりました。
「島四国」のルート近くには、由来のわからない石塔が点在し、触ると祟りがあると言われています。
そういう島の歴史的背景もあり、「船越和気比賣神社」への奉納としては南北朝を題材としたものは避けられているのかもしれません。
本当のことはわかりませんが、「船踊り」の成り立ちや変遷には、興居島の歴史や文化・産業などが深くかかわっています。