厳島神社と言っても宮島ではありません。興居島の厳島神社です。
因島村上海賊(衆)の「明澤城」最後の城主、石﨑四郎三郎日宗が1580年に広島の厳島の神を勧進し鎮守の神として興居島に「厳島神社」を創建しました。

広島の「厳島神社」が旧暦の6月17日に「管弦祭」を行うように、興居島の「厳島神社」でも旧暦の6月17日に「十七夜」を行います。
「管弦祭」とは、華やかに飾り付けられた大きな御座船が、管絃を奏しながら宮島の神社と対岸の神社を行き来するものです。
興居島の「十七夜」も元々は「管弦船」に宮司と神輿を載せ、漕ぎ伝馬で曳航していました。平成十二年に松山市が発行した「松山の民族」には「御座船」の写真が掲載されていますが、写真の御座船は発泡スチロール製のフロートの上に作られていますが、神社風の屋根がついて優美なものでした。漁船によって曳航され、御旅所である「恵比寿神社」に向かいました。
興居島には海にまつわる神社が多くあり、「蛭子神社」や「恵比寿神社」と掲げられている文字は違いますが島の中に7か所の「えびす神社」があります。御旅所は厳島神社からもっとも近い、泊漁港にある「蛭子神社」です。
現在では、漁船に直接宮司と巫女と神輿が乗り込み、管弦を奏でながら泊港を離れ、船越の手前まで行き港に戻り、ここで宮司と巫女と祭具を降ろし、車で「蛭子(恵比寿)神社」に向かいます。船は神輿と担ぎ手を載せたまま、「蛭子神社」の近くの海上で管弦を奏でながら待機します。
元々は船を直接「蛭子神社」横の漁港につけて乗り降りしていましたが、現在、泊地区には漁師は一人もおらず、漁港は荒れ上陸できなくなってしまいました。
昔は泊港(泊漁港)から「厳島神社」までの道筋に提灯が灯され、島民は「迎え火」を焚きました。出店もあるにぎやかな祭りでしたが、現在では、提灯は、「蛭子神社」の中だけとなっています。
賑やかで華やかだった時代から比べると、寂しくなってしまいましたが、船の上で奏でられる弦楽は雅なもので、古式にのっとった神事といい美しい祭りです。
