「梵天」を「ぼんてん」と読んでしまうと、仏教用語になりますが、「ボンデン」と読むと神事の関連の意味を持ちます。
一般的には、「神様の依り代」であり、幣(神々に献ずる最上の礼物)であり、幣束です。
大三島の「宗方の櫂伝馬」の「ボンデン」は、まさにこれであり、舳先で「ボンデン」を振る子どもを指して「ボンデン」と言います。
これに対し、興居島の「梵天」は「采配」です。名前は違いますが、大崎の櫂伝馬の「台ふり」が振るのも「采(配)」です。
舳先の「梵天」の振るものに違いが出るのは、いずれも変遷の途中で神事と結びついたためと思われます。神事と結びついたことで、本来は海賊衆(水軍)の采配を表していた「梵天」が、神様の依り代へと変化していったと推測できます。
例えば、「鹿島の櫂練り」の「梵天」には、地元の人でも「神様の依り代」と言う人もいれば「伊予水軍の采配振り」と言う人もいますが、元々は「采配」であったのが「依り代」に変化したものと思われます。
ただ、興居島の「船踊り」の場合は、神事と結びつきながら、「神輿伝馬」とは別に曳航されたり、神事が行われなくても「船踊り」が実施されるなど独立性が強かったことから、「梵天」も本来の「采配を振る」役割を失わなかったと思われます。
興居島の場合、「梵天」と「剣櫂」は「踊り伝馬」の舳先と艫でそれぞれ踊ります。「踊り伝馬」の中央では「中踊り」が踊ります。
現在の台船(平成5年度宝くじ助成で作成)は、船越の海上に固定されますが、それまでは、「踊り伝馬」は各地区から曳航されて「船越和気比賣神社」前に移動しました。移動する「踊り伝馬」の上で繰り返し「船踊り」が踊られましたが、移動の間は、「中踊り」が休憩しても「梵天」と「剣櫂」は船が動く間は踊り続けました。これは、「梵天」の采配で船が動いている形をとっていたものと思われます。
わからないのは「剣櫂」です。「剣櫂」の形は共通しています。興居島では「剣櫂」を「(水軍の)切り込み」としていますが、他の地域でも「剣櫂」は「剣の形をした櫂を振って四斗樽の上で踊る」ことは共通しています。
ところが、ネット上でいくら調べても「剣櫂」の元は見つかりません。海賊衆(水軍)が、櫂の形の剣を使っていたとも聞きません。
ただ、時代は違いますが、有名な「宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦い」で、宮本武蔵が使ったのが、自ら櫂を削って剣の形にしたもの(まさに「剣櫂」)でした。
宮本武蔵は江戸時代初期の剣術家です。「四斗樽」が作られたのも江戸時代、祭礼と結びついたのも江戸時代と、時代が一致することから、「剣櫂」は、ひょっとしたら、宮本武蔵の武功にあやかり、江戸期に作られたものではないかと考えられなくもありません。
どこが最初に始めたかわかりませんが、瀬戸内海は平安時代から海運でつながっており、流行りや文化も伝わりやすかったと思われます。
ただ、「梵天」も同時期にできたのか、別々のものが江戸期につながったのかは不明です。