「船踊り」の起源は、興居島の「海賊衆」の武者踊り(凱旋踊り)と言われていることから、何某かの戦いの様子を島民に見せたと思われます。
残念ながら、古文書の類が現在のところ発見されていないため、島の言い伝えから推測するしかありません。
「船踊り」の起源を捜すには、興居島の「海賊衆」の歴史を知る必要があります。
興居島海賊衆の変遷
興居島から「海賊衆」がいなくなると「船踊り」は島民に受け継がれます。島民の歴史を知ることで、「船踊り」の背景を考えます。
「興居島の島民の変遷」にあるように、戦国時代の大津波によって、当時栄えていた鷲ケ巣は壊滅的な被害を受け、島民は島の東側に移り住みました。ここまでの大規模な災害ではありませんが、その後も、台風や豪雨などにより被害を受け、住民の生活や祭り文化に影響を与えてきました。近年の興居島の災害について、平成21年に閉校した松山市立泊小学校の「閉校記念誌」に見てみます。
「踊り伝馬」を曳航する伝馬船の変遷から「船踊り」を考えます。
「中踊り」の踊りは時代の流行りに合わせ変遷していきましたが、太鼓のリズムは変わらず受け継がれました。
昭和20年代頃までは、すべての氏子から「踊り伝馬」が用意されましたが、費用等の関係から10年間ほど中断します。昭和34年から昭和60年までは4つの地区(門田、由良、泊、鷲ケ巣)の輪番制で行われるようになりました。